30歳第二次思春期

こんにちは
隔離期間にたくさん更新していたことが嘘のようです。

さて、私は今年から台湾に引っ越してきました。
気づけば8月、8ヶ月も過ぎました。
理想としていた8月とはちょっと、いやかなり違いますが、時間の流れは皆平等です。

タイトルの通り、先月30歳になりました。
ずーっと28歳あたりから人生について迷い、今もまだ迷っています。

私も台湾に来たら、目覚ましをかけずに起き、のんびりと白いふわふわの犬とパートナーと暮らすそんな夢を描き実現した。
理想的な暮らしなのに何故か寂しく、迷っている。

日本で国家資格を持ち、不自由なく暮らしてきたが、日本企業特有のルールに縛られ、理想の社員像に当てはめられる事に疲れ、自由を取り戻すべくココにきたはずなのに、何もなくなってしまった。

自由は、制限や決められた範囲のある中で成立するんだって小学生の時に道徳で習った事を思い出し、実感•絶望している。

中国語も勉強して、ある程度基本的なことは分かると思っていたけど、中国人の先生から指導を受けた私のヘナチョコ中国語は、台湾では全然聞き取りすらもゼロレベルに。
今まで1人の大人として生きてきたのに、パートナーさんがいないと何もできない。無力感。

仕事を探すも、やりたいことワクワクすることを東京のどこかに置いてきた私は、制限が無くなった今、制限を求めていて、なんでもできるはずなのに何もできない気持ちになっている。

ふと周りを見ると、結婚して家を建て、子供を育てる友達、結婚せずとも確実なキャリアを積む人。

そんな中、停滞している自分を思うと打ちひしがれる。そんな状態が続いている。

8ヶ月前に比べたらたくさんできるようになったことがあるのに、理想と比較してできないことばかりに目を向けて絶望していたけど、

「もんずちゃんの目標が高いからだよ。今までの仕事ぶり見ていてもコツコツ頑張るもんずちゃんなら大丈夫だよ」

って、頼れるお姉さんが声をかけてくれた。一緒に働いてた時なんて遥か昔、新卒から3年くらいの話なのに。

東京にいた頃、技術指導や実際に現場に入った時うまくできなくて泣きながら帰った日があった。
そんな時、「先輩もできてるんやし、まだできないだけ、まだできないだけ」と繰り返していた日々を思い出した。

大人になって、できないことが少なくなっていただけだった。鼻が伸びたピノキオだった。変なプライドだけ育っていた。

また失敗して、できない事に泣いて、自尊心ズタズタにして強くなるターンだ。

周りの友達も、新しく立ち向かう子育てや、キャリアアップで求められる責任に悩んで、土俵は違うけど、優雅に泳ぐ白鳥が水中で必死に足を動かしているように、みんな何かしら新しい課題が出現し、クリアしている日々なのかもと気づく。

隣の芝生は青い。ということにさせてほしい。

どんどん年齢を重ねていくと、もう自分の今後について悩まなくてもいいと思っていただけだった。

今に向き合って、全力で壁を乗り越えたらまた何か違う景色が待っていると思う。

言語は「ローマは1日にしてならず」って感じで、今自分は山登りの何合目にいるのかすらわからなくて、言葉で表現できない分、自分とは何かすら見失っていたけど、それを探すためにも「千里の道も一歩」からかもしれない。

周りから見ればふらふらと、回り道がすぎるだろうと思う人生だけど、いつも回り道しかなかった。ストレートに短距離で走ることなんてしたことなかった。
でも、全て納得して選択してきた自信はある。

まだまだ、大人になるって事にドギマギして、自分の変化に悩む30歳の思春期だけど、たくさん回り道をして、たくさん泣いて新しい自分を見つけたい。

階段駆け上がって見える景色、出会える人はどんなだろう?そう思って発音練習からスタートするそんな感じの日々です。

大人って一生なれないんじゃない?
みんなはどう思う?

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