あの頃のはなし

こんばんは、こんにちは、おはようございます。
今日は昔はなしをしまーす!

今は大人しくしているが、かれこれ10年以上前わたしは中二病を患っていた。
毎日、BABYMETALの様な風貌で赤と黒の服に紫のカラコンにツインテールで生きていた。
地雷メイクが流行っているが、もはや先祖なのでは?と思う。
愛読書は、KERAとZipperだった。


なんでそんな風貌で中二病だったかというと、シンプルにバンギャだったのだ。

当時私は10代後半、20代前半から半ばのバンギャのお姉さん達はオバンギャと呼ばれていた。
仕事をしながら、好きなバンドマンを可愛いキャリーを引きながら自由に追っかけする姿は憧れであった。

私も学生ながら、行けるライブ、イベントには足繁く通った。
ゴールデンウィークは名古屋、大阪、京都とバンドマンを追っかけ縦断した。(主に関西でバンギャしていた。)

1人で夜行バスに乗り、ライブハウスで会う仲間とネットカフェで落ち合い、入り待ちのため、極寒の中差し入れとファンレターを握りしめワイワイ過ごした日々。
バンドに通う意味は、同じバンギャと会うためだったりした。

最終的に行き着いた大好きなバンドは、ドドドドドマイナーで、最前・2列目も固定。繋がり、お目当のバンドマンと話す姿も監視されてるような狭い世界だったけど、その頃の私には全てだった。

はたから見たら一般人のチェキなのに、1枚500円。いくら注ぎ込んだだろう。

鉄は熱いうちに打てじゃないけど、まさに推しは推せるときに推せなのだ。

大好きなドマイナーのバンドマンは世間に知られることもなく、好きな曲もCD化することなく消えてしまう。
もう2度と聴けない歌に巡り合ってしまう。

ワイワイ過ごした仲間も結婚して、子供を育てていたりバンギャとは縁遠い世界で生きてる友達が多い。

ある一つのバンドを通して出会えた仲間も、バンドの解散とともに散り散りに。
でもあの日の日々は楽しかったなぁってみんな思ってるといいなぁと思う日々。

もう夜行バスに乗って遠征する体力も無いし、熱量のこもったファンレターもかけないだろう。

楽しい青春をありがとう〜。
と懐古厨になった本日でした。


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